遊び
子ども達はやがて大人になり、複雑・多様な社会を生きていく。
自分らしく、楽しく明るく前向きに。
そのために、何が必要なんだろう?
自己肯定感?挑戦意欲、豊かな感性?コミュニケーション能力?やり遂げる力?・・・
これらの力は、どうすれば身に着くのだろう?
私が小さい頃、近所の友達と野山を駆け回り、鬼ごっこ、かくれんぼ、秘密基地作り、
ザリガニやカブトムシを捕まえて、育て、死んでしまったらお墓を作ってあげる。
そうやって、自分たちで考え、工夫しながら遊び、挑戦し、失敗し、多くのことを学んだように思います。
そして、それを許す地域の目。
そんな経験で身に着く力は、将来生きていくために、本物の力になると信じています。
今はそんな経験ができず、
・家の中で、ゲームやYouTube
・ショッピングモールでオシャレなお買い物
・身体を動かすと言っても、作りこまれた公園や遊具で、決められた方法で遊ぶだけ
これでは、考える力が身に着きません。
(1+1=2を暗記し、なぜ1と1を足すと2になるか、わからないのと同じ)
でも、心や身体への刺激は、小学生くらいまでのゴールデンエイジの時期が重要と言われます。
例えば卓球やフィギュアスケート等のように、技術的要素の高いスポーツは、幼少期にその訓練をしないと、将来日本でトップを狙うような成長は難しいでしょう。
これは、感覚機能がこの年代で有意に成長し、この時期を過ぎてからの刺激では遅いからです。
心や非認知能力も同じです。
まさに私の子どもがこの年代になりつつあります。
このままで良いのか?危機感を感じます。
子どもには、
・自然環境豊かな場所で、五感を刺激させたい
・好奇心の赴くまま、自ら遊びをみつけ、遊び方を考え、全力で挑戦させてあげたい
・達成感、成功体験を味わわせてあげたい
今は遊ぶ場があっても、子ども達が一緒に思う存分遊ぶには、もう一押しの仕掛けが必要な気がします。
それが学童保育という解に辿り着きました。
学童保育という名で子ども達が集まり、大人が適切な見守りをすれば、今の時代でも、きっと子どもが学ぶ環境になるはず。
森の家では、そんな環境を作っていきます。
代表のおもい
息子が生まれて間もないころ、
他の同月齢の赤ちゃんは、親や周囲の人たちの動きに反応し、笑ったりしますが、
うちの子は、人に反応することも笑顔もなく、あれ?と思いました。
その後も、人と目を合わすことがなく、目が合っても目を逸らします。
ただ、興味があることへの執着は強く、例えば、ある夜中のできごと、、、
家の外の砂利をバケツにすくっては、バケツが一杯になるとばら撒くという行為を、永遠何時間も繰り返し続けました。
そして発達に特性があると診断されます。
親としてどう支援して良いかもわからず、3歳を過ぎても言葉を一言も発することができません。
そんな中、保育園に入園します。
先生や友達と関わりを持てるのか、とても心配でした。
いざ通ってみると、保育園の暖かな先生方に囲まれ、安心して過ごすことができたようです。
発達に特性がある子は感受性が人一倍強く、楽しいことは楽しい、悲しいことは悲しい、そういった感情をより強く感じるようです。
安心し、先生や友達を信頼して過ごせないと目も合わないでしょう、
気持ちを伝えたいと思わなければ言葉も出ないでしょう。
それが、卒園する頃には、目をキラキラさせて人の目を見つめ、
楽しそうに保育園での様子や好きなことを言葉にするようになりました。
これは、保育園の先生方が寄り添い、温かく見守り、支援してくださったからこそ、そのような成長ができたのだと感じています。
一生を左右するこの幼児期に、このような方々に囲まれて過ごすことができたことは、本人にとって幸運ですし、
私は感謝するしかありません。
この成長は、保育園だけのおかげではなく、当然本人の元々の能力だったかもしれません。
ただ、少なくても、保育園が安心して楽しいと思える居場所であったことは事実です。
子どもは、安心し、周りの人を信頼し、楽しく過ごせるからこそ、本来の自分の能力を発揮できるのだと、強く感じました。
アメリカの心理学者マズロー氏が欲求5段階説を提唱して久しいですが、その通りだと思います。
私は、私と同じように、誰よりも愛する子どもを保護者の方から預かる立場として、
このことを胸に抱え、取り組んでまいります。
自分を生きるため
自分を生きる。
これは、自分だけの道をひたすら歩むのではありません。
社会の中で、誰にも惑わされない自分らしさを持つ、ということ。
そのために、自分を知り、仲間を知り、社会を知らなくてはいけません。
森の家では、次の3つを大切にします。
1.好きを追求するから、個性が輝く
森の家では、多様な機会で、人それぞれ異なる興味関心を刺激。
「何これ?」「やってみたい!」「えー、怖いなぁ」。
そんな「わくわく」は行動の原動力。
作り込まれた公園や遊具で、決められた方法で遊ぶのではなく、
自らみつけた自分の遊びをとことん追求することで、
自分らしさが輝き、きっと自分を好きになる。
2.仲間がいて、人を好きになる
一人ひとりの得意は違えど、そこには仲間がいます。
遊びを通じて多くの仲間と接し、自分とは違う考えを知り、
ふとした時に「仲間っていいな」と思える瞬間。
自分が好き、仲間も大切。そんな時間を大切にします。
3.社会の中で、自分を生きる
森の家には、年齢の異なる仲間、先生、地域の大人たち等、多くの出会いがあります。
そこは小さな社会。集団・組織の存在を知り、ルールの存在、理由、大切さを知り、
その中で、自分自身をどう表現するのか。
自分を周りにフィットさせたり、時には集団のルールを皆で決めて環境を自分たちにフィットさせたり。自分らしく、自分たちらしくいられるよう、そんな居場所つくり手の担い手は、自分たち。これからの時代を自分らしく生きるため、森の家の活動がその一助となることを願います。
発達に特性がある子への支援
子ども達の中には、通常以上に支援が必要な子どもが一定数います。
支援級のように、制度を利用している児童は7%ですが、
普通級在籍児童もあわせ、潜在的には14%いると言われています。
私の息子も発達に特性がありますが、息子のために、いまどんな支援が必要なのか?
この答えを探し、近隣の施設をはじめ、日本全国多くの方とお話しする機会をいただきました。
その中で至った結論。
〇最先端の科学に基づいた療育は重要です。
ただ、そこに傾注し過ぎて、できる作業が増えたとしても、、、
他にも大事なことは何だろうか?
〇障がいがあると、どれだけ成長しても将来支援が必要なことに変わりない。
〇ならば、
⇒①楽しいと思える時間を増やしてあげたい
(自己肯定感、笑顔、趣味、友達)
⇒②支援してあげたいと思われるような子になってほしい
(笑顔、素直、感謝の気持ち)
⇒③障がい者だけの世界だけでなく、地域の中で存在を認めてもらいたい
(友達、知り合い)
この3点を大切にしたいと考えるに至りました。
①楽しいと思える時間を増やしてあげたい
将来、仕事に就いて自分でお金を稼げるようになってほしいと願います。
そのために必要な支援があるなら、惜しまずに受けさせてあげたいと思います。
でも、毎日家と職場の往復だけで、楽しいと思える時間がないまま一日(一生)を終える、、、
それでは寂しいです。
やはり、友達がいて、好きなことがあって、笑顔で楽しく過ごしてほしい。
親として当たり前ですよね。
また、どんなに素晴らしいプログラムが用意されていようとも、
まずは、そこが安心して楽しく過ごせるからこそ、本来の力を発揮しやすいのだと思います。
また、発達に特性があると、色んな場面で、他の子よりもできることが少なく、そういう経験から自分に自信をなくしてしまいがちです。辛い思いをし、自己肯定感がなくなり、暗くなり笑顔がなくなる。
今はダイバーシティなんて言われますが、色んな人がいて当然で、その中で各々の価値観で幸せを感じるべきものです。
人と比べ、何かの点で劣っていたって、気にせずに楽しく過ごせるよう、周囲の働きかけも必要です。
(私も、周りは優秀な方ばかりで、その優劣だけしか見ないと、価値がない気もしますが、他に、自分の価値観で大事なことや楽しいことがあるからこそ、自分に自信を持てるだけです。)
②支援してあげたいと思われるような子になってほしい
早かれ遅かれ必ず社会に出ます。遅くても親が死んだ後、必ず支援を受ける形で社会に関わります。
どれだけできる作業が増えたとしても、継続的または断続的な何らかの支援が必要になります。
制度として支援を利用するとしても、実際には支援する方がいて成り立ち、支援する側にも気持ちがあります。
仕事だから仕方なくという気持ちと、支援してあげたいと思われるのと、どちらが良いでしょうか。
普通の大人でも、性格は人によって様々ですが、
愛嬌があったり、いつもニコニコ笑顔でいたり、素直で人に優しかったり、、、そして感謝の気持ちを表現できること。
支援してあげたいと思われる人間になってほしいと思います。
③障がい者だけの世界だけでなく、地域の中で存在を認めてもらいたい
障がいがあることを恥ずかしがる親が、子どもを外に出さない、ということも多いようです。
これでは、子どもの可能性が狭まります。
例えば、近所を歩いていて挨拶してくれる人が100人いたらどうでしょう?生活しやすいと思います。
やはり、生きていくのは地域の中です。
インクルーシブに活動し、地域との関わりを深め、存在を認めてもらうことは、将来を生き抜くのに大事だと思います。
放課後等デイサービスで、そんな支援ができるよう取り組んでまいります。
鎌倉・森の家 代表
前田哲朗